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2022年8月24日 (水曜日)

8月24日のスナップ

湿度が高く、蒸し暑い朝となっています。

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今日もいきものがかりの子たちがお世話に来てくれています。ありがとう。

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職員室南のブルーベリーの鉢植えに実がなっていて食べごろです。ヒヨドリも食べに来ていますね。見つけられますか?

 


西尾市の図書館である岩瀬文庫では、8月31日まで「特別展 三河大浜騒動150年~近代化の光と影~」を行っています。米小校区にもかかわりがある事件ですので、歴史に興味のある方はどうぞ。

明治の始め政府の出した「大教宣布」「神仏分離」による、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を発端とした騒動が、この三河の地で起こったのです。

この騒動の元である菊間藩(本拠は上総国、この辺りに領地があり、碧南市大浜に陣屋があった)は、明治政府の方針に従い、小さなお寺をつぶしたり、まとめたりしようとしました。藩はお坊さんを教諭使(説明する人)にあてて、住民にをやさしく教えてまわりました。明治4年1月28日には、菊間藩であった中根の「隨厳寺」でも、住民への説明会があったそうです。

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明治4年3月9日、小川村蓮泉寺の石川台嶺というお坊さんを中心に37人の僧侶が、このことに抗議をしようと、岡崎の暮戸から大浜に向かいます。途中、群衆がどんどん増えていきました。

米津(当時は静岡藩)の「龍讃寺」に着いたときには、群衆の数が3000人ほどに達し、村内の竹やぶはほとんど切りつくされて竹槍が造られてしまったそうです。不穏に感じた石川台嶺は、龍讃寺の本堂に立って、話し合いをしてつぶすのを延期してもらうのが目的だと群衆に伝え、暴動のような行動はつつしむべきだと話しました。

しかしその後、鷲塚の庄屋の家で役人と話し合いますが、そこで群衆が騒動を起こし役人1人が殺され、そのため武力鎮圧されて大勢が捕まってしまいました。

 

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