1月13日
昭和19年12月7日に起きた「東南海地震」のわずか37日後に、「三河地震」が昭和20年1月13日午前3時38分過ぎに発生したのは、今から78年前のことです。
この三河地震によって、米津小(明治第四国民学校)では、在籍児童の16名が自家の下敷きになって死亡、北校舎の東四教室が倒壊、南校舎等が半壊しました。
※地震前の明治第四国民学校 手前が南校舎、奥が北校舎※
12月7日の東南海地震の揺れでは、もちこたえて倒れなかった家や建物が、実は柱・梁などが傷んでおり、1月13日の三河地震の大きな揺れによって倒れてしまったことと、夜中のため就寝中だったことが被害を大きくしました。
当時、米津橋は架け替え工事が戦争で中断しており、仮橋を使っていましたが、この三河地震によって写真のように壊れてしまいました。