天満神社の秋祭り
天満神社の秋祭りが行われました。南中根を3つの子ども神輿が練り歩きました。また、神社では2地区の巫女が、先週のお祭りに続き、優雅な舞を披露してくれました。ご苦労さまでした。



天満神社の秋祭りが行われました。南中根を3つの子ども神輿が練り歩きました。また、神社では2地区の巫女が、先週のお祭りに続き、優雅な舞を披露してくれました。ご苦労さまでした。



米津神社の秋祭りにあわせて、米津小学校区コミュニティハロウィンイベントが開催されました。学校の小運動場は、「YONEZU de GO!」のスタートとゴール地点となり、参加者は4か所をめぐる謎解きに挑戦をしていました。



米津ふれあいセンターでは、地域の方や保育園児、本校児童の作品が展示されていました。


巫女をつとめる子どもたちは、約2週間の練習を継続してきました。降雨に備えて、テントとビニルシートが設置されています。優雅まな舞を披露してくれました。ご苦労さまでした。来週土曜日に開かれる南中根の秋祭りでも、披露をするそうです。



1・2時間目、体育館で、ライスボランティア・米中の自然環境を守る会・JAのみなさんからかかしの作り方を教えていただきました。
説明を聞いたあと、12のグループに分かれて、十字の骨組みにわらを巻き付け、衣服を着せ、思い思いいかかしが完成しました。


できたかかしを、早速、稲が大きく育った田んぼに立てました。ご協力いただいた皆さま、ありがとうございました。


夕方、5年生のまさきさんとかいせいさんが、ソフトボールの全国大会の帰りに、学校へ寄って結果を報告してくれました。わざわざ、ありがとうございました。


朝のブログで書いた通り、最初の2日間は雨で順延になり、たいへんだったようです。
昨日は、1回戦で京都府の「木津キッズ」に勝ち、2回戦で香川県の「三渓カーレジ」と対戦し順調に勝ち上がりました。
今日3回戦で東京都の「大田ボーイズ」と対戦しましたが、残念ながら4-3で惜敗し、全国大会を終えたそうです。ベスト16ですね。
それでも全国大会に参加し、そして勝ち上がるということは、素晴らしいことだと思います。おめでとう、そしてよく頑張りました。近々、6年生としての大会が始まるということでしたので、さらなるご活躍をお祈りします。
本日付の地方新聞に「南部セレクト」という西尾市のソフトボールチームが、25日から静岡県牧之原市で行われる「第16回春季全日本小学生男子ソフトボール大会」に出場することとなり、中村市長を表敬訪問したという記事が載っていました。この模様は、ケーブルテレビKATCHのKATCH TIME30で、21日(火)18時、20時、22時、24時に放送される予定です。

このチームには、米小5年生のまさきさんとかいせいさんが、主力メンバーとして在籍しており、大会に出場するそうです。(写真は県大会優勝後のものです)おめでとうございます。持てる力を出し切ってきてください。
https://nishioeducation.lekumo.biz/yonezusho/2022/10/post-44f6-1.html
6年前に「三河一色えびせんべい」が、特許庁の地域ブランドに登録されてから、毎年、卒業のお祝いとして、えびせんべい組合より6年生にいただいています。ありがとうございます。


昨日6年生に配りました。お家で美味しく食べたかな?
今日は10日、交通事故死ゼロの日です。今日は交通指導員の方たちが立ち番をして下さいました。






米っ子のためだけでなく、地域のみなさんのためにありがとうございます。
今日の午後、鶴城小学校にて、カラフル(西尾市日本語初期指導教室)の修了式が行われ、20名の子が過程を終了しました。


本校からも2名の児童が通っていて、立派に修了証書を受け取っていました。おめでとう!


次にみんなで「あいだろ」と「やってみよう」を日本語で歌いました。


暖かくてとてもよき日となりました。本日、鶴中の卒業式が行われました。


コロナ3年目の卒業式は、中学生らしい厳粛で力強いとても素敵な式となりました。


校長先生の式辞、教育委員会の告示、PTA会長のあいさつ、在校生の送辞、卒業生の答辞、どれも素晴らしく…


久々のブラスバンド部の生伴奏による「矢作川賛歌」の合唱に感動しました。とてもよい式でした。卒業おめでとう!
NHKの大河ドラマ「どうする家康」第九話で、三河の一向一揆が終わりました。
吉良義昭(きら よしあき)は、大草の松平昌久(まつだいら まさひさ)と共に、東条城に入り家康軍と戦いますが、敗れて両名とも三河から逃亡しました。矢島健一さんと角田晃広さんが演じていましたね。
その後の吉良庄は、家康から義昭の兄の吉良義安(きら よしやす)が、東条西条の吉良氏を統一して領有することを認められたという説と、藤枝市薮田で幽閉されていた義安の死後、子の吉良義定(きら よしさだ)が吉良庄に身を寄せていたところ、天正七年に家康に会い、そこで取り立てられ、吉良氏の家督を継いだという説があるようです。
どちらにしてもその子孫が、忠臣蔵で有名な赤穂事件の吉良上野介こと吉良義央(きら よしひさ)です。義央の頃(元禄時代)の領地吉良庄は、岡山、横須賀、乙川、饔場、小山田、鳥羽、宮夾で、吉田や白浜は入っていないようです。

八ツ面の荒川義広(あらかわ よしひろ)も敗れて三河から逃亡しました。後の尾張徳川家に義広の子孫が仕えたという記録が残っているようです。
桜井の松平家次(まつだいら いえつぐ)は、松平宗家である家康に敵対する一揆衆と組んで、宗家転覆を企てましたが敗北しました。その後桜井松平家は、家康に許され以後宗家に従いました。