黒板メッセージ
新学期が始まりました。各教室の黒板には担任の先生からの様々なメッセージが書かれたりしていました。その中にはイラスト入りのものも…

ルフィーは前向きだなあ…

「夏休みじゃなくて、戦争終わらせてよ」と言う子どもの声があがったとか…
新学期が始まりました。各教室の黒板には担任の先生からの様々なメッセージが書かれたりしていました。その中にはイラスト入りのものも…

ルフィーは前向きだなあ…

「夏休みじゃなくて、戦争終わらせてよ」と言う子どもの声があがったとか…
今日、9月1日は「防災の日」です。
1923年の9月1日、「関東大震災」が起こり、10万人以上の方が亡くなりました。
また、防災の日が1960年に制定された大きな決め手となったのは、前の年の1959年9月26日に大きな被害を出した「伊勢湾台風」があったからでした。
このキャラクターは、西尾市の防災キャラクター「ぼうサイくん」です
大きな災害が起きても、きちんと自分で自分の身を守り、流言飛語に惑わされずに自分で判断し、自分で行動できる人になってほしいと思います。
今日から新学期です。コロナの感染者数が高止まりしているので、始業式は、児童会室にスタジオを作ってテレビ放送システムを使って行いました。


1年生のはるさんに2学期で頑張りたいことを発表してもらいました。堂々と発表できました。3年生と5年生の代表の子はお休みでしたので、後日放送で発表してもらう予定です。


校長先生からは、米っ子に出したいつもの宿題の話と、校長先生自身の夏休みの宿題の話、最後に明日から始まる給食の話(イカフライのレモン煮とデザート!)がありました。本当は防災の日のことも話したかったようですが、長くなるのでそれはまたブログで…


式の後、大学院実習生であるだいすけ先生の自己紹介と、夏の大会のソフトボール部の準優勝・男子バスケットボール部の準優勝の表彰と、参加している米っ子がいる平坂スターズの表彰披露を行いました。


最後に児童会から、米っ子に手洗いをしっかりしてもらおうと、児童会の子が作ったこめたんの消しゴムスタンプが印刷されたハンドタオルのお話がありました。


放送の後、各教室でタオルを配りました。コロナ予防のためにも、しっかり手洗いをしてくださいね。児童会のみなさん、ありがとうございました!
夏休み最後の日も、いきものがかりの子がお世話に来てくれました。ありがとう。


8月31日は、831(やさい)ということで野菜の日だそうです。2年生学年園の素敵な野菜の写真をどうぞ。


コロナの感染者数が、なかなか減ってきません。明日の始業式、米っ子にはテレビ放送システムを使って各教室から参加してもらいます。たまき先生とかざや先生が、児童会室にスタジオを準備してくださいました。
夏休みも後2日、今日も雨が降っていたので、飼育委員の子だけです。


餌をあげるだけでなく、水槽を丁寧にきれいにしてくれました。ありがとう!
今日のいきものがかりの子たちです。ありがとう。


夏休みの宿題を、やっと一つ仕上げることができたので、ほっとしています。まだ、他にもありますが…

うさぎには、宿題ないのかな?
現在米小には4羽のうさぎたちがいます。飼育委員の子たちがお世話をしてくれるので、夏休みを越すことができています。


緑化委員の子たちがお世話をしてくれているのは、プランターの花たち、ブルーベリーの鉢、和室前の花壇です。


校務主任のちあき先生が、サバナの草原のようになっている小運動場に新学期に向けて取り掛かっています。
今朝は、雨が降ったので緑化委員はお休みで、飼育委員のいきものがかりの子たちが来てくれました。ありがとう。


3階の天井は、下処理が終わって塗装に入っています。
来週の木曜日は始業式です。夏休みは、まだ1週間もありますね。
湿度が高く、蒸し暑い朝となっています。


今日もいきものがかりの子たちがお世話に来てくれています。ありがとう。


職員室南のブルーベリーの鉢植えに実がなっていて食べごろです。ヒヨドリも食べに来ていますね。見つけられますか?
西尾市の図書館である岩瀬文庫では、8月31日まで「特別展 三河大浜騒動150年~近代化の光と影~」を行っています。米小校区にもかかわりがある事件ですので、歴史に興味のある方はどうぞ。
明治の始め政府の出した「大教宣布」「神仏分離」による、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を発端とした騒動が、この三河の地で起こったのです。
この騒動の元である菊間藩(本拠は上総国、この辺りに領地があり、碧南市大浜に陣屋があった)は、明治政府の方針に従い、小さなお寺をつぶしたり、まとめたりしようとしました。藩はお坊さんを教諭使(説明する人)にあてて、住民にをやさしく教えてまわりました。明治4年1月28日には、菊間藩であった中根の「隨厳寺」でも、住民への説明会があったそうです。


明治4年3月9日、小川村蓮泉寺の石川台嶺というお坊さんを中心に37人の僧侶が、このことに抗議をしようと、岡崎の暮戸から大浜に向かいます。途中、群衆がどんどん増えていきました。
米津(当時は静岡藩)の「龍讃寺」に着いたときには、群衆の数が3000人ほどに達し、村内の竹やぶはほとんど切りつくされて竹槍が造られてしまったそうです。不穏に感じた石川台嶺は、龍讃寺の本堂に立って、話し合いをしてつぶすのを延期してもらうのが目的だと群衆に伝え、暴動のような行動はつつしむべきだと話しました。
しかしその後、鷲塚の庄屋の家で役人と話し合いますが、そこで群衆が騒動を起こし役人1人が殺され、そのため武力鎮圧されて大勢が捕まってしまいました。
甲子園も終わると、夏休みも後少しだという感覚になりますね。今日もいきものがかりの子が頑張っています。ありがとう。


2棟では、防火シャッターの修理を行ってくれています。